あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります
10月08日(月=祝)
昨日も、同じ書き出しだったが、
時間、空間、事象といった類いに感謝したい。
そういう歴程があって、やっと僕は歩いていく。
ひとかけらひとかけらやっとやっとできあがっていく。
今日、昼12時半から午後6時まで、メデイア7にて歌入れ。
夕食後、元郷stに移って、ここまでの仕上がりの約12曲を仮曲順で聴く。
意見交換し10時過ぎまで、軽くセッションしながら、チェックポイントの確認。
帰路、元郷から川口駅まで、僕は、川口郵便局あたりまでだが、歩きながら、
「レコーディングするって、出来上がっていく曲を一曲一曲、
自分で、いい子、いい子って褒めてあげるんだよ。
そうしないと、いい子に育たないんだよ。」
「もウあと数日しか期限がなくて、まだ、6〜7割の仕上がり上がりでも、
いい子、いい子って撫でて、撫でて育て上げていくんだ」などと、話す僕。
まるで、親バカだが、
「親が親なら、親の能力の分だけの曲しか出来上がりっこないのだけど、
それを、才能あるミュージシャン、アーティスト、スタッフの力で、
何とか人様にいい歌できたねと言ってもらえるものまでに育て上げるんだからね」
そうだろう^^?
まさに日活映画の昭和の名残のある「キューポラのある街」。
夜、数人で元郷から川口駅までをつれづれに歩いていくと、
本当に、1960年代の青春を、分ちあった浜田光夫や、吉永小百合が
道の向こうから走り寄って、「やぁ!!」って声をかけてきてくれそうな気にさえなる。
自分の思い出のためというより、
あの時代をわかちあった多くの昭和の思春期たちの光芒のカケラを、
誰彼にひとカケラひとカケラ見せてあげたい気に駆られる。
僕自身は、時代を、現実を、深く、厳しく観ていたわけではない。
けれども、僕のみた、僕だからこそ感じた時代の片鱗、片鱗というものもある。
今回の、アルバムにも今現在の川口と
半世紀前のキューポラのあった川口の街をつなぐ音が詰め込まれているだろう。
今現在と半世紀前のグスペリの実の成っていた港町函館をつなぐ音が響いてくるだろう。
たかだかそんな他愛ないアルバムともいえる。
もちろん、それだけのアルバムというわけじゃないけど。