あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります
約束は約束さ
札幌公演から一夜明けて、
今日、午後、千歳13:30発ANA67便にて、
ミュージッシャン、スタッフツアー一行共々、
東京にもどる。
通常なら、
飛行機で、札幌から東京へ直帰はしませんが、
このツアーは、なるべくメンバーと一緒に
旅や行動をしようと。
本当は、今日は、日曜日だし、
皆を連れて小樽まで足を伸ばして、
色々案内しようかとおもったほど。
次の機会があるといい。
昨日は、午後5時15分頃に開演。
午後8時くらいまでの演奏。
午後1時からのサウンドチェックもいれると、
かなり長時間の肉体労働だったがゆえに、
ライヴ後の打ち上げも、たいへん心地よい疲労感とはいえ、
なるべく早く宿に、ひきあげようとおもいつつも、
40年目という言いがかりということで、
この節目のライヴにわざわざ来てくれた幾多の新旧の伴、
有志達との再会、また、語らい、楽しくって、
結局、1時近くまで、語らいは尽きず。
H新聞M氏、長い付き合いになるが、
「あがたも、しあわせな奴だな。こんな世知辛いご時世、
60過ぎてまで、こんなに楽しく歌うたって生きていれるなんて!
そうそうないことだよ!
それにしても、いい歌聞かせてもらった。
あの体力は、俺にはないよ。」と。
昨夜の、言葉の中で、様々な意味で、この言葉が、一番嬉しかった。
あと、Kくんの、
「おれたちは<約束は約束さ>を、合い言葉に生きてきたから。」
これは「マドンナK」の歌詞にも登場する言葉だが、
それは、恋人同士のロマンティックな契りとも解釈できるが、
K君の言うのは、僕ら世代の、時代や文化に対する、
もし、音楽や、表現を投げかけ続けるのならばの、
その持続し続ける視点や姿勢のようなものに対してのこと。
ううん。だから、そういう話をもちだされると、
僕はやはり我が意を得た気持ちになり、熱くも、ロマンティックな気持ちにもなる。
どこかで北海道人同士の血も含めてとはいえ、
その血の底に秘める何かが、
似たような形で響きあうとき、つかのま一夜とはいえ至福を覚える。
つかのま、めったにない一夜だからのよしなしとはいえ。