今週の日記より

あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります

@■2013年01月02日(水)


ぐすぺりちゃん

みんな、いい初夢観たかな? 観なかったわたしですが^^。

今年は、まずぐすぺりちゃん『ぐすぺり幼年期』(12月20日発売)を
聴いていただかなくては。
様々な、2013年のプランもありますが、
まず、このぐすぺりちゃんが、あまり話題にも、セールスにもならなかったら、
今年は、CD制作もなにもできないですね(笑!)。
もっとも、昨年40年目で、いろいろやって一区切りついたんだから、
今年は静かにしていろ、といわれればそれまでですが^^。はい。
まあ、あちこち、ギター一本の旅でも、文句はないですが!!
色々やったり、あちこち行くようにはこころがけましょう。

では、ここに、まだ、聴いてない方のために、
『ぐすぺり幼年期』のライナーノーツの抜粋、
ペーストしておきます。
まだお手元にないかたは、
ぜひ、お手にして聴いてください。
ぐすぺりちゃん、去年で終りじゃありませんから^^。
新春の、最大課題です。

morio@g@ta

ノノノノノノノノノノノノ

「ぐすぺりちゃんって誰あれ?」 あがた森魚

 この川口の街に住むようになって、もう10年にもなろうとしています。
 だからといってこの、川口の街にことさらこだわろうとしてるわけではありません。
けれども、いまこの街にいて、この街への親しみを表明せずには この街 への、
ひいては自分自身の今現在への自分の証しを表明できない。
そういう妄想 にかられています。その妄想の嬉しい気持ちや、
とんでもなく矛盾だらけの裏腹なこの2012年現在が形になったのが、
この『ぐすぺり幼年期』です。
 自分が親しんだこの半世紀以上にも及ぶ、20世紀という時代、
そして2012年現在を形にしてみようという、
ちいさなメガロマニア(誇大妄想) が凝縮されたのが、このアルバムです。
 この『ぐすぺり幼年期』の制作拠点になった川口の「元郷スタジオ」。
我が家から最短距離で徒歩で約20分。 距離にして約1k。
目の前に、北関東一?を誇 る高層マンション・エルザタワー、
近年移設された新しい小学校、鋳物工場跡のアーティスト村アートファクトリー、
などがある文教 住宅地区(少し誇張ですが)。
面白いことに、我が家からのこのわずかの距離を移動するのに、
どうしても渡らなきゃならないのが「国道122号線」です。
このたわいない122号線は、絶妙 に、僕自身と社会との関係を象徴しています。
重要な幹線道路122号線に罪はないのです。
全国を網羅するそれら幹線道路なくして我らの生活はなりたたない。
けれども国道をよぎる車両群は、
歩いている 僕(ら)の神経を絶妙に逆撫でしていきます。
しかもその脇に、河の流れの止 まっているかのような芝川。
自宅から122線を超え、芝川の橋の欄干で川面を眺 めていると、
まるで、それは2012年現在を映している鏡かのように
様々なものが そこに映ります。しかもオセロの駒のように。
青い澄んだ空はひっりかえって暗 く淀んで芝川に映ります。
混乱して はしやいだり空想したり妄想したりする気 持ちも芝川を眺めると、
映っているその芝川の川面こそが本当の現実かのように おもえてさえきます。
「鏡よ鏡ノノ」答えてくださいとばかりに行き帰りに芝川を覗き込みます。
でもおおかた芝川は、 明るい空を、
現実のネガフイルムかのように暗く映してじつとしています。

 9月に、東北で函館の高校時代の同窓会がありました。
函館の高校時代、それもまた僕にはこの上もなく気恥ずかしい青春時代の象徴です。
そして高校二年 の1965年の夏、
今となっては、自分の人生を決めたとしたいいようのない
ボブ・ ディランの歌「ライク・ア・ローリングストーン」
との出会いがあったわけです。
 そして同窓生達と再会し、うっちゃられていた自分の記憶の中に「ぐすぺり」
という言葉とイメージがなぜか浮かび上がりました。
一度思い出したら ぐすぺりがこびりついてしまいました。
夏の間だけ北国に成る小さな硬い果実です。
 それが、妙に、今現在の自分そして、
今を生きているあなたそして誰彼の姿と かぶりました。
ぐすぺりなんて、今さら誰の口からも上がって来ません。
くわいも、あけびも、 おんこも、へびいちごも、やまぶどうも
あらたまって誰の口からも話題にはな りません。
ましてや「ぐすぺり」(グズベリー、すぐり)など、
今さら話題にとりあげるほどの意味も、根拠もありません。
 夏の間、茂みに隠れている半透明の緑色の小粒の丸いぐすぺりの実。
 子供たちは、齧っても酸いだけで、腹も満たさないぐすぺりに
あえて歯をたててみます。なぜだったんでしょう? 
 そして秋が近づくつかの間、ぐすぺりの実や柔らかみをおびぶす色に紫がか り、
すっぱいながらも甘くって郷愁的な味覚を子供たちの記憶にプレゼントします。
その短い夏の間の人目につかない硬い酸い果実の、
ささやかな存在の必然 の証しと自尊心とからでしょうか?
 ここから、五年後、十年後、われらぐすぺりやも知れぬ果実群は、
どう成熟していくのでしょう。
天文学的数字を言いたいのではなく、
それでも天文学的数字としての遠い未来にあっても、
彼らはその遠い未来、そこでどうそよいでいるのだろう。
そんなあてどもない話なのですが。
(今回このアルバムにかかわってくれた全ての方に感謝します。
奈良美智さんの少女像を、僕は、ぐすぺりちゃんと呼びます。
それは、どうしても僕らやあなたのように思えるからです。)
(ライナーノートは書くまいと決めていましたが、
つい書いてしまいました。おゆるしください。
歌は、そこに聞こえた歌、以上でも以下でもないのです。
歌を愛聴していただければ幸いです。)
(2012年11月)@g@ta

ノノノノノノノノノノノノ





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