今週の日記より

あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります

@■2012年02月19日(日)


音楽は充分に乱暴に耐える?!

夢の中で、
「暁」「欲望」「狼」「夕陽」「泥棒」
といったような文字が印刷されている。

漠然と、三つ巴のような、トライアングルのような、
三階層のピラミッドのようなイデア、想念。
目覚めて布団にくるまったまま昨夜の光景を思い浮かべる。
赤羽の街。90年代中葉に「オートバイ少女」のロケハンで、
墨田区、台東区、荒川区、北区、のあたりをくまなく歩き回った。
主人公みのる母子の住んでる町が東京の北の方を向いてる場所、
と想定したからだ。
墨田区向島のかっての鐘淵、曳舟あたりのなごやかな昭和の香りのする界隈。
(今は、スカイツリーで話題の区画だが)ないしは、都電荒川線沿いの町屋界隈。
それらの場を特定したシーンは出てこなかったが、
みのるが父親探しに北海道へ旅立つ前に荒川べりを散策するシーンはある。
実は、とあるシーンで赤羽の街も映っている。
赤羽は、夜行列車で北に帰る時、最後に車窓から華やいだ灯りの見える街。
旅装束で駅に駆け込み、列車が走り出し、寝台車に荷物もおさまり、
旅愁をかきたてる車掌の放送案内が一区切りつくかつかないか、
普段は親しみのない上野から東側の見慣れぬ街街の光景が車窓をよぎり、
それらがすでにエキゾチックで、それもやがて街灯りが段々淋しくなり
最後につかの間華やかにわきおこるのが赤羽の街灯りで、
その灯りをあとにすると東京と、おさらばである。
そこから、鉄橋を渡り最初に通る街が、川口なのだが。
逆を言うと、東北方面方から、東京にたどり着いた人間が最初に通りすがる街が赤羽。
演歌かもしれないが、赤羽には、北関東、東北の地名のついた飲食店が多い。
出自の故郷への、愛着、矜持、郷愁それらすべてからだろう。
この街にも昭和と望郷の匂いがうずくまっている。

昨夜、その赤羽のイルミネーションの街で、純白のセロケースを携えた女学生らしきや、
弾き語る青年らに出会って、
時空の懐かしさを通り越したかのような郷愁が自分を至福にさせた。
何故なのか。そんなことで。

小さな三層のピラミッド。
その土台をなすもとして虚空とない交ぜになった大地があり、
その上にラブロマンスがよこたわっていて、
そのラブロマンスの口からメロディがこぼれおちている。
もちろん夜空には満天の星。
おきまりだが、ピラミッドの内に内包され、またカリカチュア化されたお伽話。

「虚空たる天地」、「ラブロマンス」、「歌」を三つの階層とするなら、
「郷愁」とは、実は虚空たる大地の強烈な気配磁力への懐郷と、
それと同時に発する反作用としての大地
かつ反大地としての「歌」(表現行為)のことではないのか?
僕らは「虚空たる天地」に郷愁を覚え、
僕らは「ラブロマンス」に郷愁を覚え、
僕らは「音楽=歌」に郷愁を覚えるだろう。

昨夜の赤羽には、小さな模型世界としての郷愁があった。
そういう街では、全ての人が懐郷旗手になる。
つまり概念を模型化した音楽らしきに現実認識を託そうとする郷愁家になる。
三つの階層のピラミッドを、「虚空たる天地」、「ラブロマンス」、「歌」
いずれをも根底では否定し切れず、しかしそれらへの「愛」として、
さらに「愛の裏返し」としての揚棄(止揚=アウフヘーベン)を試みようとする。
rock=pops=歌とは、その最たる営みではないか?

今朝も、呪文のように言っておこう。
現実(虚空たる天地そして我ら肉体それらの本能らしき)なんぞは、
恋愛(博愛、人類愛、博物学ありとあらゆる愛欲らしき)のためにある。
現実なんぞは馬鹿らしくてやっていられないものであり
「愛こそはすべて」に帰結する。
しかし、「愛こそはすべて」「love&peace」「恋愛至上主義」らしきすら、
懐郷旗手の最終現実超越手段としての手品=「音楽=歌」らしきもののためであり、
「音楽=歌」らしきものへと昇華し、煙となって雲散霧消する。
そしてその消えかかる雲散霧消の煙は、
「love&peace」「恋愛至上主義」らしきへと降り注がれ、
再び寛容で虚無な虚空たる天地の懐に抱かれる。

言いたいことが言葉で言えるのなら作曲家は音楽を作らないとマーラーは言い、
シド・ビシャスは、言葉は腐っているが音楽は充分に乱暴に耐えると言い、
ボードレールは、言葉は乱暴に使えるが音楽はそうはいかないと言い、
アリストテレスは音楽は道徳や倫理に深く関わるものだと考えた。
古今東西あらゆる階層のあらゆる人種が音楽を愛し、
同時に音楽を憎み、20世紀的であることを愛し、また憎み、
音楽や愛や現実について激しく惜しみなく愛着と憎悪を語る。

音楽のエスプリは、確かに言葉で語り尽くせない。
けれどもゾウの瞳も、天地の虚空を観ているらしいくらいは、言葉で説明できる。
言葉を過信もできないが無視もできない。
歌うことについて過剰な言いがかりはいらないが、一言二言はある。
それにしても、夕べ赤羽駅界隈で見た光景と、
そこで感じた強い郷愁を、わかりやすく
簡略化して語ろうとして、どうして、これだけの「言葉」を必要とするのだろう。
たかだか「郷愁」を最重要事項と考え、それを執拗に説明しようとする自分自身こそが、
手品の煙のようにも思えてくる。
だからそれが歌らしきだというのか?

………………………………
今日は、これから新宿ニューベリーで、
光永巌さんとのライヴ。
手品の煙を観たいお方は、
ぜひいらしてください。
楽しめるゾウ!


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