あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります
あなたの貌 5月の終り。
「5月の終わりに皆さまにご挨拶」のような
いよいよ5月も終わります。
明日からは6月。カレンダー上でも夏です。
今年、2012年に入ってからの、
CD『女と男のいる鋪道』の制作。
1月、準備。2月、白井良明とのレコーディング。
3月、中旬にはカンパケ(完成)。
1960年代の外国映画のカバー曲中心のCDだったとはいえ、
制作の理想を絵に描いたような緩急要点を心得た進行と仕上げ。
終了と前後同時進行で、
同じく3月中旬からは4月5月の「40周年ツアー」の選曲とリハーサル。
(制作スタッフを中心とした制作全体の準備は昨年からすでに始まっていましたが)
3月下旬には、Tangoヴァージョンも含め、5日連続のツアーメンバーとの全体リハーサル。
4月は、引き続き、選抜メンバー等でのリハ、ないしは個人練習の日々。
平行して、CD『女と男のいる鋪道』ジャケット等の仕上げ、
さらに、僕自身が直接作業をしたのではないが「あがた森魚読本」
「40周年ツアー記念パンフレット」その他の編集や制作物が日夜進行し、
僕自身もサゼッションや、データ探しや、対談やインタビューに応えたり。
(この作業の各スタッフの、愛情とこだわりとその実務には、心から感謝いたします。)
4月21日、札幌。25日、大阪。27日、福岡。28日、名古屋。
そして、5月12日、東京でのツアーライヴ。
(このツアーにかかわった全てのスタッフ、ミュージシャンにも深く感謝いたします。)
年明けから、この半年間弱。ともかく、デビュー40周年というお題目と言いがかりで、
なんとも贅沢で、達成感のある仕事をすることができました。
本当に、ありがとうございました。
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今朝、寝覚めに、
昨日の、ミーティングのことを思いかえしていました。
これからの、この秋の、来年以降の、
音楽活動、業務もろもろに関するミーテング(会議)のことについてです。
そのミーティングは、二つ行われ、
一つは「音楽」そのものの今後の展望に関するもの。
もうひとつは「運営」そのものの今後の展望に関するもの。
この5月12日までの40年記念作業の成果、そして、今後の実務、展望全体に関してです。
多くの有志が、今後の展望に関して、真摯に、建設的に語ってくれました。
そして、この僕自身、素朴に、現実的に、かつ直感的に、
その「ミーティング(会議)」をわかちあって感じたものがありました。
そこで受けとった「気配」や「現象」は、
このささやかで大きな一区切りである、2012年5月30日現在に、
この、たわいないミーテイングもまた、
おそらく、この地球上の全人類をとりまき、
この地球上の全人類がおかれている「現在」そのものと
限りなく相似形であるのだということでした。
例えば、地球上の全人類がおかれている「現在」。
原子力開発を含んだ現代テクノロジー、
政治、経済、食料等に関する逼迫した現在現実的問題。
音楽、ひいてはメガロマニア的表現世界にとっても逼迫した現在現実的問題。
「現実(日常)」も「音楽」も、なんと疲弊しているんだ、と、
みな救いを求めてだれもがその救いを得られないでいるんだなぁ、と。
今年の秋冬も、来年以降のわれら現実世界も、引き続き厳しいですね!!
まだまだ予断を許しませんね!!
ま、とはいえ、このワシ、および、周りの愛すべきミュージッシャン、アーティスト達は、
それらこれらを、意に介せず乗り越えてどんどん進みますよ。
ぼくの、ぼくらのメガロな「グラアマラス」を「チャメレオン」を(何語だ?!)
引き続き、おお化け、大発散させてみせましょう!!
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そして、それらの「オブジェ」らしきは「贈り物」らしきは、全て、
コドモたちのためにプレゼントされるものでなくてはならないともおもうのです。
(わかるでしょう?!)コドモたちのためになんだな。
今朝方、夢に出てきた特大の冬の水晶?オオロラ?霜柱?
それが、一見、まるで冬の水晶らしきかのように柱状に屹立し、
ミニチュアの空中庭園を持ち上げ氷結した大きい瀧かのように見えて、
そしてその冬の水晶が、雪の結晶や、星のくずの星雲の渦や、
パプアニューギニアの暗礁のように、
向こう側が視えづらいオブジェ。音楽。カアテン。砂嵐。海底。だとしても。
それが、実は、決して向こう側が視えていないわけではないのだ。にもかかわらず、
物理的、現実や事実が見えづらい「オブジェ」や「空間」や「現実」であると判定されても、
いやそうならなおさらのことそれらは、コドモたちのために特別に用意されて、
プレゼントされるべき「表現物」「オブジェ」ではなかろうか。
「音楽」とは、「歌」とは、そういうものではなかろうか、と?
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カタチにしたいコトバ、カタチにしたい歌、カタチにしたいオブジェだらけでなのす。
そして、それらは、
見れば見るほど、まちがいなく、あなたの貌(かお)をしていながら、
憐れみ深く愛に充ちた眼差しをなげかけてくれていながら、
なのに、手を伸ばしても、手を伸ばしても、どうしても曖昧で、冷ややかで、
この世のものともおもえないほどに気高くて、間違いなく目の前にいるはずなのに、
それでも久遠の彼方でしかなく、どうしてもやはり掴みとることができない。
でも、触れたとしても胸が締めつけられるように、
時として痛々しく、時として嶮しくて、
どうしてもどうしても抱きしめきれない。
まるでまるではるのひがまちがいなくみちみちているのに。
まるでまるでぼくのなをよんでくれてるらしきはこくうにみちみちているのに。
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さて、いよいよ6月ですが、
これからの日々の日記も、
ほぼ、この類似のよしなしごとの
繰り返しかとおもわれますが、
おゆるしください。
とはいえ、大きな深呼吸をして、
大空の大気をおもいきり吸い込めるような、
そんな夏を、みんなで、盛大に、贅沢に、わかちあいたいですね。