あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります
たかだかあと十年。
「2010年代を作ろう!」
と、心の中で、ぶつぶつ言っている。
けれども、2010年代とは、
2019年までだとしても、あと約8年。
あと8年経たなければ、2010年代は完成しない。
しかも、その頃には自分は70代にさしかかっている。
体力がまだ表現者たりえているのか?
感受性がまだ表現者たりえているのか?
それともだいたいまだこの世にいるのか?
どれもこれも、わかったものじゃない。
で、この21世紀という時代にあって、
自分の、予測はかなり立ちづらい。
はっきりいって、自分は旧世紀人だから、
21世紀の先導なんてできやしない。
しかし、もし今、この2010代というものが、
多くの大衆が、なにかに混迷し、強く救済を求めての
2010年代であるかもしれないのだとしたら、
オレにも何か、役割があるのかもしれない。
まあ、ありていに言って、
2011年3月11日以降、
あれだけ大騒ぎしていて、
「でも、あのことは、もう済んだんだよ」
と、誰彼に言われたら、
「あ、そうなんだ。」
で、お終いだ。
まあ、オレはそうは思わない。
オレにはオレの2010年代がある。
1945年に第二次大戦が終わって、
1948年に北海道の留萌に生まれ、
1955年に自分は北海道小樽で小学校にはいって、
1960年に日米安全保障条約があり、
1961年に函館の町で自分は中学生になった。
そして1965年に自分は高校二年生で、
函館の町でボブ・ディランの歌を始めて聴いた。
五年刻み、十年刻みで、
僕は、様様なものを投げかけられながら、
大人になっていった。
その合間には、社会的、個人的多くの事件があり、
自分は、おおくのPOPS、映画、TVメデイア、アート他の現象に出あった。
それは、やはり、
社会がたくらもうが、たくらむまいが、
過不足なく、ぼく(ぼくら)に投げかけられてきたおおくの現象だった。
社会を揺るがした現象あり、一部の尖った連中だけが受け止めた現象もあった。
自分なりの予感では、
この2010年代は、錯綜した10年になっていくんだろうなと。
(いえ、そんなことすらわかりません。)
じゃ、僕は、あなたは、ここからなにをやっていくのか?
少なくとも僕は、
「この十年をどうやっていくかを、あなたとは毎日話していかなくてはならないんだ!」
とだけは言えるのです。
本当に、毎日です。
昨日作った歌は今日は棄てなくてはならないかもしれません。
なぜなら、とりあえず、あと十年しかないからです。
あと十年後からは、精神的にも、肉体的にも、
責任はもてません。
自負すれば、
あと十年後から2020年代、
自分が70歳代になったとき、
どれだけ、本物の歌を歌えるか。
そこが、最後の勝負かとおもっています。
70代になって、オレはどんな歌うたえるのか、と?!
しかし、表現性は、もうこの十年でしょう。
創作できるのは、この2010年代しかありません。
この十年間を、どう、時間割つくって、
どう、悔いなく、一日一日、一月一月、一年一年を表現者として生きていくのか?
少なくとも、
「この十年をどうやっていくかを、あなたとは毎日話していかなくてはならないんだ!」
とだけは言えるのです。