あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります
夏もお終い。
誰もが大好きで、お名残惜しい、
入道雲の高い夏休み最後の日。
(今年は、カレンダー上9月2日ですが)
今年も、今日、8月31日で、やはり夏もお終い。
新作アルバム作りも、まだ登り始めて3合目くらいのとこですが、
アルバム(CD)作りってのは、そこに陽炎のように立っている誰かの姿や、
その彼方の現実を見詰めるようなこと、なのでしょうか?
誰かとは、恋人だったり、父や母だったり、友だったり、架空の誰彼だったり。
それは、現実の姿だったり、想像上の姿だったり、
内実の伴うものだったり、そうでなかったり。
ないしは、誰彼をとりまく現実だったり、現象だったり、光景だったり。
それら、あるイメージ空間を「歌」や「アルバム」に託すことでしょうか。
「ついたて」というポール・デルボー初期の作品。
衝立てを挟んで裸の男女が夫々に立っている。
二人は、愛しあうのだろうか?
愛し終えたのだろうか?
もう永遠に愛しあわないのだろうか?
例の、零れ落ちそうな愛くるしい瞳なのに、
互いの瞳が、空をみつめてるからか、
歓びに充ちているのか、悲しんでるのか、
途方にくれているのかもわからない。
煤けた、モスグリーンと鈍い桃色に包まれたこの絵は、
僕の気持ちを、なごませ、また様様なきもちにさせる。
愛しあったにせよ、愛しあっていないにせよ、
その現象を、洞察しようとしている。
気力も、愛も、欲情もとおりこして、
その相手の、いや、実はたかだか自分のしてのけている今現在と未来を
見詰めてはいるらしい。
悔いている。いや、満ち足りている、途方にくれている、あるいは微睡んでいる。
どうなのだかわからないけど、二人は、確かにそこにいて、
彼らの時間を共有したはずだった。
そして、なんらかの時間は、なんらかの季節は終わろうとしている。
一つの季節が終り、一つの季節が始まる。
それは、希望なのか。それとも失望なのか?
今回の、アルバム作りも、
絶妙に、面白く、まるで楽しく、だからといって、
どんな秋が待っているかなんてわからない。
それは、まさに、ひと夏の恋物語か。
夏から秋への不思議な旅^^なのですね?
問題は、やはりそれを、誰とどう形にしてわかちあおうか、なのでしょうか?
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タオルケット一枚を抱きしめて、
暑さになのか、なに恋しさになのか?
寝付けず寝返りうった。
一夜あければ、もうそれは、昨夜の妄想でしかなく、
朗らかな青空のまばゆさに眼を細めるばかりだった。
けれども、過ぎたその一夜は、
それは、誰もいない耐えきれない一夜であったにせよ、
まぼろしにあなたと一夜の永遠を培ったつかのまだったにせよ、
それは、瞼を閉じていたのか、ひらいていたのか、
暗闇に眼をこらして視えてきた、
そこに立っている誰かの姿、気配、その彼方の全般さえ窺えた。
自分に、語ってくれてるような気もするし、そうではないような気もする。
それでも、眼が開いているのか、閉じているのか、爛爛としているのか、
涙が滲んでるのかもわからず、冥府に下るオルフェは愛するエウリディケを一目見んと、
強く眼をこらした。あなただってそういう思い出あるはずでしょう?
してはいけない掟を破るに等しい、
一夜一夜にまた妄想してしまったまぼろしの気配かのようなもの。
もし、楽曲の精霊が授けくれるインスピレーションらしきがあるとしたら、
その冥府行き以外にどんな方法があるだろう?
その目的なくてオルフェの竪琴はああも哀切にハーデスやペルセポネに響いたか?
自分がここで言いたいは、一夜の交合が、実であれ、まぼろしであれ、
それは刹那の愛欲であれ、相互のアガペーの真実にも似た交接であれ、
そこに、視てとろうとした「気配」「ヴィジョン」「イデア」のようなもののこと。
2012年夏にアルバムを作るというのは、今たった今この夏の約束でしかなく、
今作らないと2012年夏の約束がない。今宵一夜あなたと共にあることもまた、
今宵一夜の約束でしかなく、
しかし、契るなら契るしかなく、契らぬなら契らぬしかなく、
明日朝のことは、知らないのだ。
今、2012年夏のアルバム作りも、契らねば契らぬでもよい。
明日朝は、今宵の寝苦しさも、逢えぬ耐えきれぬ切なさも済んだこと。
明日夜になると、来年の夏になると、その一夜を、そのひと夏を、
また約束するのか、しないのか? 契るのか契らないのか? というだけの話。
なぜその煩雑で悩ましげな約束や契りを、わかちあおうとするのか?
そのつかのか見え隠れしてしまう「気配」「ヴィジョン」「イデア」のようなものと、
束の間、一夜の契りを交わしたいからにちがいない。
しかし、そうであったとして、では「歌」に「アルバム」に、
僕自身の希求する「気配」や「イデア」があったところで、それがなんなのですか?
と、つれなく一言い放ってあなたのまぼろしはまたタオルケットの彼方に消えていく。
2012年8月最後の夜、あたかも今月二度目の満月ブルームーン。
まぼろしならぬあなたの彼方に「ヴィジョン」を分つてるやもしれぬ、
今宵束の間あなたにこそ、さいわいあれ。
(と、ちょっと、強がってみせます^^ 。)