あがた森魚の今週の日記より紹介してまいります
何故ここで
11月20日(日)
青梅の二つのステージは楽しかった。
第21回「青梅アートフェスティバル」。
参加するのは、これで、5、6回目だろうか。
ねえ、ここはどこ?
何故ここで歌っているの?
昭和の時代の建物や看板、
チンドン屋、サンバカーニバル、
赤塚不二夫の記念館。
疑似的、昭和の芸能的なものが集っている。
その芸能性、商業性、アカデミズム、反社会性、
表現美学もあれば表現の実験性、ないしはある種の宇宙論、
さまなくばひたすら個的人格の追求、などなど色々あるが、
そこにおいての大衆芸能の意味とは?
1965年、ボブ・ディランの歌を聴いて
「この表現は、俺もやってみたい」と思った
歌うことの初源性、プリミティブさ、虚無があった。
ディランの歌には、悲しみがあった、怒りがあった、怒りの訴えかけがあった
哀しみの訴えかけがあった。
高校2年16歳の俺になぜそこが響いたのか?
現実の社会を深く知っていた訳ではない。
俺の欲しい響きがそこにあった。
漠然とした、本能的な、本音として欲していたものが、そこにあった。
だから俺にはディランの歌が響いた。
ディランの歌は、俺にとって哲学であり、思想のようなもの、
いやそうおおげさなものというより、
ただ、オレの根底には、もう一つの憧れがあって、
それがどういうものかというと、芸能的なミーハー性、
ヒロイズムのようなものなのである。
それは、子供のころに見聞きしたウォルト・ディズニーの「海底二万マイル」や
東映のチャンバラ映画、歌謡や芸能の持っている色香や
にぎやかさや華々しさに対するもの。
なぜなら、小樽の港町が俺のふるさとだとしたら、昭和23年に生まれた自分が
そこで見聞きしたものは、あまりにも殺風景であったから。
終戦後の喪失感や物資の貧しさや価値観の混迷、それらからくる心もとなさ、
それが小樽という町に充満していた。
そういう、戦後の小樽、函館、青森で育って、
東京だけが持っているかもしれない、華やかさや未来性に対しての強い憧憬があった。
今日、青梅に来て、その幼児体験をした昭和がそこにあった。
もっとも、あくまでも、疑似の昭和。
それは、秋のとある一日を、
青梅の町で、共有したい、
単なる郷愁か?
それだけではない。
青梅の町だから、
そこにある、
道草の片隅に探していた、
街角の片隅に待っていたもの。
それはなにかはわからない。
けれど、
そこでこそ歌っているんだな。